注目のだじゃらー Vol.39
日本だじゃれ活用協会 代表理事 鈴木 英智佳 -前編-
- お名前:鈴木 英智佳(すずき ひでちか)
- 出身地:兵庫県尼崎市
- 職業:研修講師、組織開発ファシリテーター
- 趣味:スポーツ観戦、温泉巡り、自然の中で過ごすこと
- 私にとってのだじゃれ:生きる原動力
2024年9月1日で日本だじゃれ活用協会は10周年を迎えます。『だじゃれは世界を救う!』活動を続ける中で、数々の「奇跡」を起こしてきた日本だじゃれ活用協会。今回は、このおめでたい節目のタイミングに、代表の鈴木 英智佳さんに、協会の「10年のキセキ」をたっぷりと語っていただきました。だじゃれとの出会いから今後の展望まで、あわてんぼうになることなく前編・後編の2回に渡ってじっくりとご笑覧ください!
※今回の記事は、代表が過去に講演として語った【「だじゃれde天職創造」物語 〜だじゃれが導く未知の道〜】の内容を一部、加筆・修正して作成しています。
Q(しんぺー) :
まずは協会設立10周年おめでとうございます!
国税庁のデータによると企業が10年存続する確率は6%ほどとのことです。だじゃれ活用協会は企業ではありませんが、それでもこの10年間世の中にあり続けることはとても凄いことだと思います。
今回の「注目のだじゃらー」では、10周年記念スペシャルとして、代表がだじゃれの活動を始めることになったきっかけから10年間の歩み、そして今後の展望をじっくり前・後編に分けて伺いたいと思います!
A(ひでちか) :
ありがとうございます。楽しい話ばかりではなく、どちらかというと大変だった話や暗い話も多いと思いますが、ちょっとくらいゆるしてください(笑)。10年やってきて、私の立場からしか見えてないこともあるので、その辺りを包み隠さずお話できたらなと思います。
Q(しんぺー) :
確かに10年間の中には色々な喜びの裏に様々な苦労もあったと思います。今回はそのあたりをクローズせずに語ってください。笑
前編では、協会設立に至るまでの代表の生い立ちやだじゃれとの関わりを聞いていきたいと思います。
A(ひでちか) :
だじゃれとの出会いは自分の生い立ちが深く関わっているかなと思っています。生まれは兵庫県の尼崎でしたが、幼少時から親の転勤が多くて、幼稚園のときににアメリカに1年間住んでいました。
そこは超田舎の幼稚園で日本人が誰もいないような環境でした。名前が“ヒデチカ”なので最初は“ヒデ”と呼ばれていたのですが、シャイでおとなしく何も喋らなかったので、周りからは英語で隠れるを意味する “hide(ハイド)”と呼ばれてました。笑
▲“ヒデ”を“hide(ハイド)”とするのは秘伝のだじゃれか・・・
A(ひでちか) :
その後日本に帰ってきてからも小学校だけで3回転校したのですが、その度に人間関係をイチから作っていかないといけない…そんな多難な幼少期でした。
自分の中で少しずつ変わってきたのは中学時代ですね。何となくこの辺からだじゃれ活用の片鱗が出てきたかなと思っています。どちらかというと真面目でおとなしい優等生タイプだったと思うのですが、内面では色々と面白いことを考えてました。
▲中学時代はバスケ部に所属(左から4人目が代表)。当日は背も低くて目立たない存在…
A(ひでちか) :
たまにボソッと言ったひとことで「意外とこいつ面白いじゃん!」みたいな印象をクラスメイトから持たれるようになりました。
一つ明確に覚えているのが、中1の時に若い熱血な男性の先生が担任で、もうめちゃめちゃ熱いんだけど、とにかく空回りしまくりで。笑
中学生は多感な時期で態度も反抗的というのもあって、みんなから総スカンを食ってる感じだったんですよ。
Q(しんぺー) :
先生が何か言っても「…そうすか。」みたいな感じだったのですね。笑
A(ひでちか) :
ある日のこと、教室が汚れていて、先生が「お前ら、ゴミがサンラン(散乱)してるじゃないか」って怒り出したんです。
そこで僕はすかさず「えっ!?先生、ゴミが卵産んでるんですか?」ってだじゃれたんです。
そしたらクラスがドカーンとウケて、それまでのギスギスした雰囲気が一蹴されたことがありました。
初めて公の場でのだじゃれを言った時のインパクトは今でも覚えています。先生はめっちゃ怒ってましたけどね。笑
Q(しんぺー) :
代表にとっての初のだじゃれ活用ですね。この後はだじゃれを次々に繰り出していったのですか?
A(ひでちか) :
少〜しずつですね。ターニングポイントでだじゃれはちょこちょこ登場しました。
バスケ部では芽が出なかったので、高校では心機一転、テニス部に入部しようとしたのですが、何か一芸をしないといけないという通過儀礼があったんです。みんなは歌を歌ったり、モノマネなどをしている中で、自分には何もやることがなくて困っていたときに、唯一「だじゃれならイケるかも」と思ったんです。
たまたま同期に“高見”という友達がいたのですが、高いところに上って彼を見下ろして「高みの見物」と言ったのと、走って電車を追いかけるフリをしながら、「山手線、や~待って〜!」というだじゃれを披露して何とか入部を許可されました。笑
元々、運動も得意な方ではなかったのですが、テニス部の活動を通して身体が鍛えられたり、少しずつ積極性も身について、高校時代は大きく変わる転機となりましたね。
Q(しんぺー) :
だじゃれのおかげでテニス部に入る権利や楽しい大学生活を手にすることができたのですね。笑
▲充実の学生生活(後列の一番左)。最近はもっぱらスカッシュ。「テニスはしばらくやってねぇーす」とのこと。
A(ひでちか) :
大学時代はテニスに明け暮れて充実していたのですが、新卒で入った会社がなかなか精神的にツラかったですね。本当はマーケティングの仕事をやりたくて入社したのですが、初期配属は和歌山にある工場で2000人分の年末調整をし続けるといった業務が待っていて…。「こんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない」みたいなギャップがありました。
周りの先輩・上司を見ていて、5年先10年先の自分のキャリアがなんとなく見えちゃうみたいなところもあって。入社後1年半で和歌山から本社の人事部に異動したんですが、その人事部のフロアがものすごく静かで…。シーンとしている中でみんながPCのキーボードをカタカタと叩く音しか聞こえてこなくて…。ちなみにその経験から「メールばかりで滅入る」という名言が生まれてますが(笑)。とにかく、5年先、10年先を見据えた時に「この先自分はどうなるのだろう?」と思ってずっと悶々としてましたね。
▲滅入ることの多かった社会人時代。もしかして部長もいつも仏頂面だったのかも??
Q(しんぺー) :
そんな状況だと滅入るのも当然ですし、もっと良い環境を求めーる気持ちになりますね。なにか転機はあったのですか?
A(ひでちか) :
「このまま今の会社にいても自分は絶対に幸せになれない」と直感的に感じたこと、それから人事の仕事をやっていく中で「人のやる気や成長に関われるようなことがしたい」という思いが強くなって、兄の友人が起業した研修会社に転職しました。
その会社はいわゆる教育のベンチャー企業で、人も少なかったので営業から研修プログラムの開発・設計、講師に至るまで、ありとあらゆる経験を積むことができました。ドラゴンボールで言うところの「精神と時の部屋」のようなハードな7年間でしたが、その経験を糧に13年前に、研修の作り方や教え方を教えることを専門とする「社内講師養成コンサルタント」として独立しました。
Q(しんぺー) :
「精神と時の部屋」はとてもハードでハードルが高いですね。笑
代表の研修(ワークショップ)を受講したことがありますが、分かりやすく凄く学びになりました!社会人になってから独立するまでの期間はだじゃれとの関わりは少な目だったのでしょうか?
A(ひでちか) :
そうですね。少し話が脱線したところも多かったのでここから『だじゃれは世界を救う!』の活動がどう誕生したかという話をしていきたいと思います。きっかけは自分が独立して1年ぐらい経ったタイミングだったと思います。
独立当初はとにかく食べるのに必死で、「まずは生計立てなきゃ」と仕事を選ばずにやってました。ところが、ある程度それが落ち着いてくると「はて?自分は何のために独立したんだろう?」と思ったんですね。
やっぱり自分のやりたいことだったり、自分にしかできないことをするために独立したんだよなという気持ちになり、自分探しのためにコーチングの会社であるCTIが主催する「Co-Activeリーダーシップ・プログラム」や、そのCTIのコーチングをアメリカから日本に持ち込まれたヒデさん(榎本英剛さん)主催の「天職創造セミナー」に参加しました。
いずれのプログラムもコンセプトは近いところにあって、前者は「もっとも自分らしくありながら世の中にインパクトを与える」ことを“リーダーシップ”と定義し、後者は「自分の純粋意欲に従って、無条件にやりたいことを体現すること」を“天職”と定義しています。
Q(しんぺー) :
無条件にやりたいことを体現する…人生の中でとても大事なテーマですね。
A(ひでちか) :
ちなみにヒデさんの書かれた『本当の仕事』という本の中で、「だじゃれを天職にしている人」として私も紹介いただいてます。笑
この書籍がきっかけで協会のイベントに参加くださった方いますし、とても良い本なので、ぜひみなさんに読んでいただきたいです!
▲『本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方』(日本能率協会マネジメントセンター・2014年)
A(ひでちか) :
話を戻しますね。先ほどの「天職創造セミナー」では最後に自分が見つけたやりたいことを天職として名刺を作るのですが、私はこんな風に作成しました。
▲「天職創造セミナー」で代表が作成した名刺(表面)
▲「天職創造セミナー」で代表が作成した名刺(裏面)
A(ひでちか) :
「フラットな関係性・コミュニケーションから人々のエネルギーと創造性を紡ぎ出す」ことを天職として、事業内容の一つに「だじゃれを言い合える職場づくり」と書いています。
Q(しんぺー) :
意外だったのですが、代表の中では「だじゃれありき」ではなく、人々のコミュニケーションを円滑にしたいという大きな思いがあって、その手段の一つがだじゃれだったのですね。
A(ひでちか) :
そう、最初からだじゃれではなかったんです。順番としては“自分探し”の中で、まず、「人生の目的」や「自分の存在意義」を言葉にしました。僕の場合は“愛と勇気と遊び心で人の心をDelightする”という人生の目的が定まりました。
▲参加していたワークショップの部屋にあったストーブから“Delight”のインスピレーションを得たとのこと。
“愛と勇気と遊び心”は、そのまま「だじゃらーマインド」にも使われています!
A(ひでちか) :
この「人生の目的」に照らし合わせたときに、「あ、だじゃれでいいんだ!」とシンプルに思えたんです。”Delight”は自分の中では、「光を灯す」とか、「人を元気づける」というように解釈してます。生まれてから必ずしも順風満帆とは言えなかった自分の人生の中で経験した悲喜こもごもを糧に、愛・勇気・遊び心を交えて、人の心を元気にしたいという想いが出発点になってます。
Q(しんぺー) :
愛と勇気と遊び心…この三つがだじゃれの活動に繋がっているんですね。そこからすぐに協会発足となったのでしょうか?
A(ひでちか) :
いえ、初めの一歩は『だじゃれは世界を救う!』というFacebookページの立ち上げでした。
最初は生活の中で閃いただじゃれを画像つきで投稿していました。例えば「水菜だけに向こう見ずな価格設定です」や、大宮行きの電車が10分遅延していた時に降りて来た「オー・ミヤ-・ゴッド」などです(笑)
▲水菜だけに向こう見ずな価格設定です
▲オー・ミヤ-・ゴッド
A(ひでちか) :
正直、大したリアクションも得られず、長くは続かなかったですね(笑)。今は、ダジャレンジャー®︎の仲間がだじゃれ活用協会の公式X(旧Twitter)を長きに渡り継続してくれていて、本当にスゴいなぁといつも感心しています。
その後、始めたのが2013年8月に初開催された『ダジャーレdeござ~る』ですね。現在の『だじゃれ道場』の前身のワークショップです。
A(ひでちか) :
これは、本業である研修設計のノウハウを活かして、だじゃれの魅力や楽しさを伝えてみたいと思ってカタチにしたワークショップです。
▲記念すべき第1回開催にご参加くださった皆さま。会場はオシャレの街・表参道でした
Q(しんぺー) :
Facebookの投稿やワークショップの開催など何かを始めるときの試行錯誤を感じます。この頃、代表のなかで意識していたことはありますか?
A(ひでちか) :
Facebookページの立ち上げについては、正直、「こんなことやって意味あるのかなー」とは思っていましたね。でも「シュートは打たないことには入らないと」と思って用意周到〜ではなかったですが、とにかく行動に移しましたね。
『ダジャーレdeござ〜る』については、明確な目標はなかったですが、単純に「面白そう」と思えたのと、一人では前に進まないと思ったので、まずは協力者を見つけました。最初のパートナーは、当時の整体の先生でした。笑
Q(しんぺー) :
考えすぎてなかなか行動に移せないではなく、完全に固まっていなくともまずチャレンジしてみる大切さですね。この考えは様々な場面で大事だと思います。
A(ひでちか) :
今でも「なぜだじゃれなのですか?」「何を目指しているのですか?」といった質問はたくさん受けますね。笑
「目的が定まらないと始めてはいけない」と考える人も多いと思いますが、「無条件にやりたいことがあったらやっちゃいなよ」は、私がCTIの「Co-Activeリーダーシップ・プログラム」とヒデさんの「天職創造セミナー」から学んだことですね。
最近は、「目的は進化と深化を繰り返すな〜」って感じてます。当初、“愛と勇気と遊び心で人の心をDelightする”で始まった私の人生の目的も、活動を継続しているうちにさらに深まって、進化しているのを感じています。
Q(しんぺー) :
進化と深化を繰り返す…良い表現ですね。だじゃれの真価はこれからも発揮されそうです。この後が協会設立となるのですか?
A(ひでちか) :
それが協会についても初めから定めていた訳ではなく、最初は1ミリも考えてなかったんです。
きっかけは、『爆笑する組織~会社を強くするだじゃれ仕事術~(自由国民社・2014年)』の出版ですね。だじゃれの本を出せることになったのですが、それに相応しい肩書きがなかったんです。
Q(しんぺー) :
確かに、“研修講師”だけだと、「誰じゃこの人?何でこの人がだじゃれなの?」って思われるかもしれないですね。
A(ひでちか) :
はい。それにもしかしたら本がバカ売れして講演依頼が殺到するのではないかなと。笑
実際はそうはならなかったですが、受け皿となる組織があった方がいいんじゃないかと思って、大急ぎで作ったのが「一般社団法人 日本だじゃれ活用協会」でした。お盆明けに申請して、わずか2週間足らずの9月1日に登記されました。ということで、本当に偶然かつ滑り込みで誕生したのがだじゃれ活用協会です。笑
その後、これまたコーチングの第一人者である、本間正人先生が「本の帯を書くよー」と仰ってくれたり、思いがけず出版記念パーティまで企画くださったり予想もしなかったミラクルが雪だるま式に起きました。
▲本間先生に書いてもらった本の帯。OBでもないのに協力いただいた本間先生にはホンマ感謝です♪
▲出版記念パーティーの様子。大勢の友人・仲間が駆けつけてくれました!
A(ひでちか) :
CTIのCo-Activeリーダーシップ・プログラムの説明会に参加した際に、「自分らしくあるだけで、努力しなくても欲しいものが手に入るようになる」と言われていたのですが、まさにこういうことなのかな、と実感しました。だじゃれの活動は、自分にとっての“天職”だったんだろうなと。
Q(しんぺー) :
まさに天職ですね。
ここまで幼少期のだじゃれとの出会いからお話を聞いてきましたが、代表がだじゃれと共に自分らしさを見出していく過程がよく分かりました。
「だじゃれは世界を救う!」という言葉の通り、まさに代表がだじゃれに救われて様々な挑戦をされていると感じました。
ぜひ後編では協会設立からの10年間の軌跡や今後の展望についてお聞かせください!
<あとがき>
今回、一番印象に残ったのは、代表にとって人間関係を円滑にする手段としてだじゃれがあるということです。
ただ、思い付いただじゃれを発するではなく、コミュニケーション方法の1つとしてだじゃれを活用する協会の思いをあらためて感じることができました。
ちなみに冒頭の写真は、代表がお嬢さん(写真右下)の学校で“だじゃれの授業”を開催した時の1コマだそうです。後編では、活用協会の次世代(未来)についても語ってもらいますのでお楽しみにどうぞ!
レポート by 電気とデニム
P.S.
<DKJP10周年記念イベント「ダジャフェス」エントリー受付中(8/19〆切)>
2024年9月1日をもちまして、だじゃれ活用協会(DKJP)は創立10周年を迎えます。
これを記念して、協会誕生の地である川崎市武蔵小杉にて、10周年記念イベント「ダジャフェス」を開催します。
是非、多くの方にDKJP10歳の誕生日を一緒にお祝いいただけると幸いです♪
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だじゃれ活用協会10周年記念イベント「ダジャフェス2024」
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◇開催日時:2024年 9月1日(日) 10:00-17:00
◇開催場所: 川崎市平和館(JR横須賀線「武蔵小杉駅」より徒歩10分)
◇申込方法:ご参加にはクラファンからの事前登録が必要となります
◇開催の目的:
(1)10年を振り返っての感謝の奉納(お祭り=泣き笑いの共有)
(2)無邪気にだじゃれに触れてエネルギーを分かち合う(みんなで童心に帰る!)
(3)今後に向けてのだじゃれの可能性を広げる(ワクワクすることをやってみる!)
▼ だじゃれ活用協会10周年記念イベント「ダジャフェス2024」特設ページ
https://dajare10th.wixsite.com/dkjp
▼チラシはこちらからもご覧いただけます!
https://www.dajare-zukai.jp/img/event/dajafes.pdf
◇イベントの参加お申し込み
▼「ダジャフェス2024」クラウドファンディング(CAMPFIRE)
https://camp-fire.jp/projects/747051
・今回のイベントの参加には「事前登録」が必要となりますので、参加ご希望の方は、クラファンのリターンから、「招待チケット」特典があるプランをご選択ください!
・当日は来場できなくても、お気持ちを贈っていただく「ご声援プラン(五千円)」もご用意しています。支援者さまご本人、または友人・知人の方にDKJPが主催するだじゃれイベントに無料でご参加いただける(いずれか1名様1回)特典付きとなっていますので、是非ご支援いただけると幸いです♪